1. はじめに特許法157条1項*1は、「審決があつたときは、審判は、終了する。」と規定しています。「審決」は、それに対する不服申立ての機会が尽きたときに確定するとされており、請求棄却審決については、審決の謄本の送達があった日から30日以内が不服申立期間、具体的には出訴期間です(特178条3項)。ところが、155条1項は、「審判の請求は、審決が確定するまでは、取り下げることができる。」と規定しています。上述のとおり、「審判」(特157条1項)は審決があると終了するのですから、審決があった後でも審決が確定するまでは取り下げられる「審判の請求」とは何を意味するのか、請求の対象である「審判」(特155条1項)とはいかなる意味であるのかが直ちに明らかではありません*2。しかしながら、「審判」という特許法上の用語の解釈がこれまで厳密に論じられたことはありません。たとえば、民事訴訟法においては「証拠」「請求」等のさまざまな用語が詳細に議論され、その上でさまざまな学説が成り立っているように、特許法においても、基本的な用語の意味について厳密に論ずることは特許法の新たな解釈の礎になるでしょう。そこで、この記事では、まず、特許法の条文を検討し、「審判」の解釈を試みます。次いで、得られた解釈の下で特許法のその他の条文を理解し得るかを検証し、その多義性を明らかにした上で、若干の考察をします。2.「審判」の解釈「審判」(特157条1項)は終了する以上、ある時点で開始するものでありますが、それは、いつ始まるのか。このことについて、特許法上の明文の規定はありません。この問題を糸口に、「審判」の解釈を試みます。150条2項には「審判に関しては、審判請求前は利害関係人の申立により、審判の係属中は当事者若しくは参加人の申立により又は職権で、証拠保全をすることができる。」と定められていることから、「審判」の請求によって「審判」が始まり、「係属」という状態に入ると理解することができます。このように理解した場合、前者の「審判」と後者の「審判」は、それぞれどのように解すればよいでしょうか。まず、後者の「審判」は、開始のあるものであるので、「審決」があったときに終了する157条1項の「審判」と同義であると言えます。「審決」があったときに終了する「審判」には、その論理な帰結として「審決に至る手続」という定義を与えることができます。特許法において用いられている「審判手続」(特152条等)という用語は、「審決に至る手続」を意味することを明示的に表したものとして理解することができます。後者の「審判」をこの意味における「審判」であると解すれば、「審判」の請求によって「審決に至る手続」が始まり、当該手続が係属するということになります。前者の「審判」は、請求の対象である「審判」であるので、155項1項の「審判」と同義と考えてよいでしょう。ここで、「審判の請求は、審決が確定するまでは、取り下げることができる」(特155条1項)ことを民事訴訟法上の「訴えは、判決が確定するまで、その全部又は一部を取り下げることができる」(民訴261条1項)という規定と対比してみれば、「審判の請求」は「訴え」に対応する概念と位置づけられます。民事訴訟法において、「訴え」の提起によって「訴訟」が係属し*3、「訴え」とは、「裁判所に一定の形式の判決を要求する意思を表示する行為」を意味することに照らして、「審判の請求」に「特許庁長官に一定の形式の審決を要求する意思を表示する行為」という定義を与えれば、請求の対象である「審判」(特155項1項)とは「審決」を意味し、「審判」の請求によって「審判」が係属するという150条2項が前提とする審判制度の構造は、「審決」の請求によって「審決に至る手続」が係属するという意味で理解できるでしょう*4。事件が審決をするのに熟したら「審理」は「終結」するという規定(特156条1項及び2項)を含めて上記解釈を図示すると、以下のとおりです。審判の請求によって、審判手続が係属し、審理が開始されます。審理終結の後に審決がなされて、それに対する不服申立期間が経過することで、当該審決が確定します。審判手続は、審決があったときに終了するものの、審判の請求は、その後も審決の確定までは取り下げることができます。なお、「特許庁長官は、審決があつたときは、審決の謄本を・・・送達しなければならない」と規定されているように(特157条3項)、審判手続が終了する時点である「審決があつたとき」は審決の謄本送達の前でなければならず、具体的には、審決は、文書をもって行わなければならないものであるから(特157条2項柱書)、審決に記載される「審決の年月日」(同項5号)がこれに該当するものと言えます*5。3. 解釈の検証以上の解釈の下で、特許法における「審判」という用語の用法を更にみてみれば、たとえば、148条1項には、同一の特許権について共同して特許無効審判又は延長登録無効審判を請求することができる者は、「審理の終結に至るまでは、請求人としてその審判に参加することができる」と定められています。「審判」を「審決」と解すると成り立たないが、「審決に至る手続」と解すれば「請求人としてその審決に至る手続に参加することができる」という意味になり、成り立ちます。また、136条1項には、「審判は、三人又は五人の審判官の合議体が行う。」との規定があります。この規定における「審判」を「審決」と解すれば、文意が成り立ちます。114条1項に「特許異議の申立てについての審理及び決定は、三人又は五人の審判官の合議体が行う」と規定されていることと対比すれば、ここでは、さらに「審理及び審決」を意味すると解するのが妥当です*6。また、169条1項では、「特許無効審判及び延長登録無効審判に関する費用の負担は、審判が審決により終了するときはその審決をもつて、審判が審決によらないで終了するときは審判による決定をもつて、職権で、定めなければならない。」と規定されてます。三回用いられている「審判」のうちの最初の二回は、「審決に至る手続」と解すれば文意が成り立つものの、最後の「審判」は、「審決」と解しても「審決に至る手続」と解しても、あるいは「審理」と解しても文意が成り立ちません。143条1項及び149条3項にも「審判により決定」という同様の規定があります。逐条解説によれば*7、「審判により決定」するとは、合議体により決定することを意味しており、「審判」という用語の例外的な用法と言えます。4. 若干の考察「審判」に関連するものとして、「審判事件」という用語が特許法では用いられています。審判請求書に記載される「審判事件の表示」(特131条1項2号)がその例です。「事件」とは、「①事柄。事項。」(広辞苑第七版1267頁)を意味するので、文言どおりに解すれば、「審判事件」とは「審判の対象となる事柄」といった意味になりますが、特許法において*8、「事件」は「特許庁に係属」(特17条1項)することを考慮すれば、特許庁において開始し、終了するものとして理解する必要があります。そこで、「審判事件」を「審判」、すなわち「審決に至る手続」と同様に「審判の請求」によって開始するものとして理解してみれば、「審判の請求」とは「特許庁長官に対する一定の形式の審決を要求する意思を表示する行為」でありますので、「審判の請求」という意思表示を請求人が行うことによって「審決の要求」という審判事件が特許庁に係属し、審決があったときに「審決に至る手続」である審判が終了し、その後に当該審決が確定することによって「審判事件」が終了するというように、審判係属と区別して事件係属を理解することができます。例として、「特許第〇〇〇〇〇〇号無効審判事件」という審判事件の表示は、「特許第〇〇〇〇〇〇号を無効とすることの要求」であり、無効審決が確定することで請求人の要求が結実し、事件は終了します。5. 結び以上のように、「審判」という一見自明な用語も厳密に理解をしようとすると多義的で、複数の用法があります。特許法上の用語の多義的な解釈について明示的に言及された裁判例として、知財高判平成23年3月10日(平成22(行ケ)10121)があります。この裁判例では、進歩性の判断において、引用発明に係る「発明」(特29条2項)の認定と出願に係る「発明」(同項)の認定は、その目的及び態様が異なるのであるから、同一の判断基準に拠る必要はない、すなわち、両者は異なる意味に解されてもよいと判断されました。このように、同一の用語であっても場面ごとに異なる意味を有し得ることは、特許法上の用語の意味を厳密に論じる際に検討に値する視点であるといえるでしょう。注*1 以下、条文の引用に際し、特許法につき、本文中では法律名を省略し、特許法及び民事訴訟法について、括弧内では「特」及び「民訴」とそれぞれ略記します。*2 特許法上の「審判」とは何かについて定義を与えている例は多くありません。たとえば、土肥一史『知的財産法入門〈第16版〉』(中央経済社、2019年)は、「審判」について「特許に関してなされた処分の効力や特許請求の範囲の変更等について、特許庁審判官の合議体によってなされる審理手続」をいうと説明しています(237頁)。*3 厳密には、訴状の提出(民訴134条1項)によって直ちに訴訟が係属するのではなく、訴状の副本が被告に送達(民訴138条1項)された時点で訴訟係属が開始すると解されています。*4 特許法において、審判手続がいつ開始するかについて明文の規定はないところ、相手方のいない査定系審判も存在することに鑑みれば、請求書の提出(特131条1項)によって審判が係属するものと解されます。たとえば、特許庁編工業所有権法逐条解説〔第22版〕562頁には、「全ての審判は、審判請求書の提出により手続が始ま」ると説明されています。*5 審判手続には、判決の言渡し(民訴250条)に相当する行為がありません。*6 講学上、民事訴訟法において「審理及び判決」を「審判」と称することがあり、このことと近いといえます。*7 特許庁編工業所有権法逐条解説〔第22版〕512頁*8 民事訴訟法においては、重複訴訟の禁止(民訴142条)の規定において事件の同一性が問題となり、詳細が論じられていますが、特許法においては、事件の同一性に関する議論は見当たりません。ABOUT AUTHOR(S)Written by Kan Otani Image by DALL-E